さて、本日の一枚は東京横浜ドイツ学園のイベントの模様を撮影しました。
あまりにも楽しそうな内容でしたので、かなりたくさんの画像を使ってみました。
 
このイベントは何かと申しますと、実はドイツ学園は今年日本で
100周年を迎えるんですって。
記念の年ということで今年9月から来年6月まで、さまざまな祝典が
開催されることになりました。
で、今日はそのメモリアルイヤーイベントの幕開けだったワケです!
 
この日は、ドイツ学園に通う生徒(幼稚園〜高校生)と保護者らが集まり、
開幕を祝いました。写真は生徒たちが持ち寄ったケーキ(500個!)が
並べられた様子や、日本とドイツの国旗を振る子供たち、そして風船を
空に放った様子などを撮影したものです。
 
ここでドイツ学園とは、というお話。資料より抜粋します。

東京横浜独逸学園は日本国内の外国人学校、またドイツの施設としては最も古い公共施設の一つであり、本年、100周年という特別な時を迎えます。
何千人という生徒たちがこの学校を巣立って行き、中には、数々の著名人もおります。その内の一人、ベアーテ・シロタ・ゴードン氏は日本国憲法の草案者でもあり、草案の一部の中で、家族と女性に関する法律を書きました。
ドイツ学園の授業は全てドイツ語で行われておりますが、18カ国の生徒が通い、40%の生徒が日本国籍を所有しております。
ドイツ学園は数々の移転を繰り返しながらも、東京/横浜の地に留まって、当初から日独文化交流の場として、重要な役割を果たしてきました。(中略)ドイツ学園は1904年9月20日、横浜の民家を校舎に開校しました。当初の生徒は3カ国9名の男女でした。
 
学園は横浜に創立された後、変化に満ちた歴史を歩みました。2回の大火、1923年9月の関東大震災、2回の世界大戦などに見舞われ、移転や新築を余儀なくされました。
学園の存続は幾度となく危機にさらされました。戦後の混乱のなかで、学校法人東京/横浜独逸学園が再び設立されたのが1953年9月のことでした。この年の12月1日、第二次世界大戦後初めての学年が17名の生徒と共に始まりました。そして1960年には早くも最初のアビトゥア受験者たちが卒業資格を手にしました。
1970年以降には、日本とドイツの経済関係が強まるにつれ、生徒数が急激に増加し、現在に至っています。1967年末には200人〜300人の生徒収容を考慮された校舎が大森に完成されました。しかし、1975年までに、生徒の数は490名まで増加し、間もなく校舎は手狭になりました。1978年には校舎拡大のための増築が始まり、状況を緩和しましたが、教室内は相変わらず狭く、またスポーツ施設の場所はありませんでした。大森の限られた敷地内での拡大増築工事は限界となり、ついに横浜の地に移転、近代的な校舎が新築されました。
1991年に再び横浜の地でスタートした学校施設には、今日18カ国・420名の生徒が通っています。学園は小規模クラス、積極的に教育に携わる教師達、近代的設備を整えた専門教室、広大なスポーツ施設、そして最新水準教育の授業を与えるための最高の必要条件を提供しております。さらに、1995年より、文部科学省は東京横浜独逸学園の卒業資格アビトゥアを日本の高等学校卒業と同等と認定しております。

 
ということです。
へぇ〜、ホントに100年前のまさしく今日、開校した学校だったんですね。
ワタクシたちは撮影でたびたび学校へお邪魔していますが、こんな詳しい歴史を
今回初めて知りました。今の恵まれた環境からは“手狭だったころ”なんて想像できません!(笑)